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2014/03/11

忘れてはいけない 忘れてはならないあの日

はいどうも バグロックです

今日は東日本大震災から3年目となります
被災地の宮城出身であるオレは
色々な思いがあります
当時の状況を振り返りつつ書いていこうと思います

長文になりますがご了承ください

2011年3月11日午後2時46分

この瞬間全てが崩れました
当時高校を卒業して休みに入っていたオレは
丁度電車で街中に行こうと支度を完了して家を出る瞬間でした
突然の大きな揺れに立っていることすら困難(つかまり立ち)で
必死にしがみついていました

オレは未熟児で生まれたため、生まれつき障害を抱えています
自力歩行が困難な障害です
(障害名:脳げん性麻痺による移動運動機能障害)
家の中には手すりがあるため、それを使って家の中を歩いており
外では車椅子か歩行器で生活しています

1人では逃げられないんです 誰かの手助けがなきゃ・・・

家族に連れられ 慌てて庭に出て
待機していた時は足に力が入らなかったほど震えていました

「1人では逃げられない」

そのせいもあってか人一倍恐怖も感じていました
そのとき自分自身が何を考えていたのか、何を喋っていたのか
頭が真っ白になっていたのか 思い出すことが出来ません

幸い我が家はちょっと物が倒れた程度で軽く済みました

地震だけならまだ良かったんです


そう・・・地震だけなら・・・

しばらく経ってから続々と地震に関する情報がラジオに寄せられるなか

「かなり大きな津波が来ています 一刻も早く逃げてください!」

それを聞いて純粋に思ったのは

「ここまでもし津波が来たら・・・死ぬのかな・・・家は無くなるのかな」と思いました

ですがオレの住んでいるところは
内陸寄りのため津波が来ることはありません。

やがて日が暮れて電気も 水もとまった状態(ガスはプロパンだったため使えました)

頻繁に来る余震で寝ることも出来ず(5日間ぐらいは1~2時間程度しか寝れず)
リビングに一家まとまって寝ていました

オレは眠れなかったのでただラジオの音声を聞きながらボーっと外を眺め続けていました
この時、満天の星空だったことをはっきりと覚えています
電気が無くなるだけで、これほどにまで星が見えるんだと・・・

ラジオからは「病院の屋上で救助を待っています!」「家族を探しています」「家が流されました」
そんな声ばかり聞こえました
もうそれだけでも「夢であって欲しい・・・」と思いましたが
背筋が凍るほど驚き 一番夢であって欲しいと思ったのは

宮城には荒浜地区という海沿いの地域があります

そこからの情報で

「荒浜の道路に200人以上の遺体が打ち上げられています」

もう訳が分かりませんでしたし 無意識に涙が出ました
「夢じゃないんだ・・・」と

1週間近く風呂に入れない、食糧調達は限られた場所の限られた個数だけ

オレ自身も歩行器を使って外に出向き
陥没した道路 盛り上がってしまった地面 切れた電線
それらを見ながら情報収集のためと食糧調達のため
見知らぬ人と情報交換をしたり
迷子の子を避難所まで案内したり、と3時間近く歩きっぱなしでした

車もない 信号も止まったまま 異様な光景でしたね


そして地震から4日後にオレの住んでいる所の電力は復旧し

まず真っ先にテレビをつけました

そこに映っていたのは津波に飲まれる気仙沼の町 仙台空港
名取の閖上・・・

もう言葉も出ませんでした・・・

無情にも全てが瓦礫の山と化し
「嘘だ・・・」のそんな思いしか出ませんでした

当然思い出の町もありました
そこも全て津波に飲まれ
屋根の上で救助を待つ人、必死にしがみつく人大勢いました

予想での津波は6~8mほどでしたが
実際は16mだったのです

多くの町が壊滅的になった状況を見て
オレは思いました

「もしあの時電車に乗っていた最中に地震が来ていたら・・・もしかしたら・・・」と

続々と遺体が発見され指定された安置所に運ばれていきました
オレは直接は中は見ませんでしたが、実際に外から安置所に運び出される様子を見て震えていたのを覚えています

中には家族を失った 友人を失った人が声を上げて泣いていました
もちろんその中にはオレと同じように障害を負った人もいたようです

幸いオレの周りで亡くなった人はいませんでしたが
家を流されたという人はいました。

そして震災から1ヶ月後
改めて辺りの様子を見ようと
車を走らせ
オレの思い出の場所のひとつである
亘理町の鳥の海というところに様子を見に行きました

ここも海沿いなので津波をもろに受けました
震災前は温泉施設として県内外から多くの人が来ていました

オレ自身も浜辺で遊んだ後に足湯に入って帰るのが定番でした

震災後は温泉施設以外は全て流され
周りに建っていた住宅 お店全てガラス破片や瓦礫だけになっていました

夕暮れで沈みかけのなか
声もあげずただ呆然と立ち尽くして涙を流しました ずっと何もない瓦礫の山を見つめて・・・

そして震災から3年を迎えても依然更地のままで何もありません

テレビなどでは復興が進んでると言われてますが
実際は全然です
何も変わってません
鳥の海のように 今尚更地が多く
住宅も仮設に住んでる人が多くいます

まだ復興は始まってすらいないと
オレは思います

オレはこの震災を経験して感じたことがあります

当たり前の生活がこんなにも最高の贅沢なんだ と

家 家族 学校 友達 会社
これらを失った人たちの思いは
オレよりも辛く苦しい環境にあるものだと

学校に行くのが面倒だから休む

などは最高の贅沢かつ最低の我儘です

オレからの願いは

他県の人が直接被災地に行って
今尚更地になっていたり仮設が建ち並ぶ
今ある現状を見て 聞いて欲しいです

そして見つめ直してください
今ある自分の環境を

感謝してください

家族がいること

学べる場所があること

働ける場所があること

本当に帰れる住むべき場所があること

その中で失ったもののなかには
2度と戻らないものもあるんです

被災者のなかには忘れたいと思う人も多くいます

ですがオレは伝え続けます
忘れないで欲しいから・・・何回でも

それが生かされた人たちに
できる唯一のことだから・・・

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